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プリンスルートを下山中、子供が重度の高山病を発症

今回は、富士宮ルートを登り、御殿場ルートを下って途中の下り六合から宝永火口へ抜けるプリンスルートを下山することにしていました。

プリンスルートは富士宮口を下山するよりも膝に優しく、道幅もそこそこ広いのですれ違いで待つようなことはほとんどありません。

 

このルートは、平成20年(2008年)8月、皇太子殿下が富士山に初登頂されたときのルートで、それ以来「プリンスルート」と呼ばれています。

昨年から一時的に移転している富士山郵便局の前を通り、御殿場ルートの下山開始。

一時的に移動中の富士山頂郵便局

下山してしばらくしたら、ネイチャーガイドリスのガイド一行を発見。

 

野中さんとRenくんが丁寧に先導しながらガイドしていました(^-^)

野中径隆

 

登山ガイド ren

 

私はそのまま彼らを追い越し、赤岩八合館へ到着。

 

しばらくベンチに座っていたら、ネイチャーガイドリスの皆さまも赤岩八合館に到着しました。

そこで野中さんから

 

野中さん「あ、タジリさん、実はお願いがあるのですが・・・」

タジリ「どうしたんですか?」

野中さん「ツアー参加者の小学生の子供が重い高山病になってしまって、もしよかったらサポートしてもらえると助かるのですが・・・」

タジリ「わかりました、いいですよ! 手伝います(^-^)」

 

そして、まったく予想外のことに、私が緊急スタッフとして参加することになったのです。


どうやらその小学生のAくん、歩くこともままならないほど重い症状の様子。

野中さんが「私がAくんを背負って下山します。タジリさん、僕がもてない荷物を背負ってもらえますか?」

私のスカスカだった40リットルのザックの雨蓋を最大限あげて、パンパンに荷物を入れる。

野中さんのザックの荷物みたら、あらゆる出来事に対応できるように、ロープやらスリングやらファーストエイドやら、大量の荷物を背負っていたこと気づきました。

荷物の数も多いが、重量もまるでテント泊か、雪山行くのか?というくらいずっしり。
(たぶん15~20キロはあるかと)

その後、特殊な方法で子供(30キロ強あるらしい)を背負い、赤岩八合館から下山したのでした。

砂走館まで到着しても、Aくんの高山病が重く、野中さんの判断で他のガイドツアー参加者はRenくんが託し、Aくんとお母さんと野中さんと私の4名は砂走館でしばらく休憩することになりました。

Aくんはそのまま小屋の布団に入り仮眠しました。

約2時間ほど経過して、Aくんが起きてきて、だいぶ元気になったとのこと。

砂走館にお礼し、Aくんも自分の足で歩きだしたのでした。


その後、Aくんの様子をみながら途中で休憩を入れつつも、宝永火口までは下ったのですが、そこからの上り坂でAくんがまったく動けなくなりました。

Aくんが登山道にめり込むように丸くうずくまり、振り絞るように発した言葉は

「うごいたら、はきそう」

見ていて非常に痛々しかったのです。

その後しばらく待ったものの、自力で動けず最終的に野中さんが子供を背負って下山することに。

野中さんが「Aくん、背負ったときに吐いても大丈夫だから」

再度、野中さんがAくんをしっかりとを背負い続け、宝永火口から富士宮五合目まで下山開始。

Aくんを背負った野中さんの後姿は、まるでわが子を背負うお父さんのように見え、Aくんも背筋を伸ばして高みの見物しているようで、穏やかなほのぼのとした光景に見えました(^-^)

IMGP2525.jpg

まで約40分ほどかけて、ようやく五合目に到着!

お母さんも安心した様子(^-^)

「皆さま、ありがとうございました!」とシャトルバスに乗って帰っていかれました。


■最後に

私も大人が高山病になり、動けなくなったのは何度も見てきていますが、子供がこれほど重い高山病になったのを見たのは初めてでした。

Aくんも、本当に高山病を発症し非常に辛かったと思いますが、がんばりました!

お母さんも、その様子を忍耐強く見守ってくれました。

野中さんも常に穏やかで冷静に対応していて、体を張って無事下山に導く野中さんの姿勢に深く感動しました(^-^)

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