この写真を見る人が見れば、この状態がどういう状況なのかわかると思います。
アイゼンやピッケルの刃がなんとか刺さる程度のカッチカチの傾斜のキツイ斜面を、四つん這いになりながら、雪が柔らかいときに付けられた足跡をたよりに、遭難者が下山していました。
見ての通り、この過酷な雪山の富士山、しかも早朝においてこの軽装は信じられません。
はっきりいいますが、この遭難者が手や足を滑らせれば徐々に雪面を加速しながら数百メートル滑落し、露出した岩などに猛スピードで激突し、たぶんグシャグシャになって死にます。
私はこの状況をみて、
「いくらなんでも富士山をなめすぎだろう」
といいました。
そうすると、第一発見者のSさんが、
「たとえそうでも、この人が死んでいいという訳ではない」
と力強く言いました。
後で聞いた話ですが、Sさんもここまでに葛藤があったそうです。以下、Sさんのヤマレコ記事より転載
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この記録をヤマレコに乗せるべきかどうか、悩んだ。
当事者が自分ひとりだけでない以上、どこまで内容を公開していいのか…。
何日か考えて最終的に、書くことに決めた。
山岳遭難の事例を載せることで、見た人がそのことについて知り、
同じような事故を少しでも減らすことができるように。
誰かの役に立てるような記録を残したくてヤマレコを始めたので、何かの役に立てばいいと思います。
積雪期の富士に初めて挑んだ今回。
まさか自分がこんな出来事に遭遇するとは思ってもみなかった。
4:15に富士宮口を出発。
その日は晴れた空、アイゼンの良く効く雪質、暑くも寒くもなく、適度な風の吹いていた。
まるで山が私を受け入れてくれているかのような、申し分の無い状況だった。
体調も、天候も良く、9合目までは調子良く登ってこれた。
この調子で行けば、3時間弱で山頂に到着できそうだった。
9合目辺りから、山頂付近の急斜面に人影のようなものが見えた。
恐らく先行している登山者だろう。初めは単純に、そう思った。
ただ、高度を上げていくにつれ、その先行者にたいし何か奇妙な印象を持ち始めた。…移動速度がやけに遅い。
もう少し近づく。その登山者は、山側を腹にして、後ろ向きでゆっくり下りてきているようだ。…なぜだろう?
更に近づくと、何故その登山者が後ろ向きでゆっくり下りているのか理解できた。
アイゼン、ピッケルを持っていない…
「そんな馬鹿な」と初めは信じられなかった。5月とはいえ、この時期の富士山に冬山装備もなしで来るなんて。
顔が分かるほどに近づいて、再び驚いた。外国人だ…
先日ドイツ人が遭難したばかりなのに、そのことについては知らないのか?
靴はスニーカー、下はジーンズ。
一言でいえば「山をなめている」を体現したような格好。
雪が緩んだ時につけられたステップを頼りに、カチカチの斜面を一歩、一歩下りている。
少しでも足を滑らせたら、滑落する可能性が非常に高い。
急いでその外国人に近寄り、声をかけた。
自分「大丈夫ですか?(大丈夫なわけないが)すごく危ないですよ?」
外国人「私は大丈夫。ゆっくり下りるよ」
少し言葉のやり取りをしたが、ある意味呆気にとられてしまっていて、なんて声をかけていいか分からなかった。
とりあえず「気をつけて」と月並みなことを言って私は再び登り始めた。
富士山の山頂は近い…。もうすぐ、残雪の富士山の山頂に立てる。
山頂へはあと15分もあれば登れそうな感じだった。
だが…少し登って、外国人登山者のことが気になった。
あの軽装。アイゼンもピッケルもなしに、雪の急斜面で滑ったら、下まで滑り落ちてしまうだろう。
そうなれば、最悪死ぬ。
頭の中で葛藤が始まった。
登るか。それとも、登るのを止めて、彼を助けるか。
助けると言っても、どうやって? 自己責任じゃないか、登山は。山を甘く見過ぎたのが悪い。
登るのか? 自己満足のために人を見殺しにするのか?
足を止めて、少し考えた、そして結論を出した。
「登山は止め。今日はこれで下りる。何とかしてあの外国人が下山できるように手を貸す」
急いで外国人登山者のところまで降りていく。雪は締まっていて、アイゼンは良く効いた。
足だけでも何とかバランスは取れそうだ。
私「やっぱりあなたをそのままにしておけません。そのまま下りるのは危険です」
外国人「ゆっくり下りるよ。私に構わなくても大丈夫。山頂に行ってください」
私「私は日本人だから、いつでもまた来れる。今日はあなたと一緒に下ります」
と、一緒に下山することを伝えた。
とりあえず、滑落停止にと、自分の使っていたピッケルを渡した。
使い方をその場で軽く教える。
しかし、分かってはいたが伝えたところでいきなりピッケルを上手く扱えるわけではない。
外国人(チェコ出身と言っていたのでC氏とする)は時々ピッケルを雪面に突き刺すものの、決して安全に下りれているとは言えない状況だった。
先日つけられたステップも、所々消えかかっており、足をかけるのが難しいこともあった。
そんな時は、私がアイゼンを装着したブーツで雪面を蹴り込み、何とか足場を作ってC氏を下らせた。
しかし、後ろ向きで恐る恐る下っている状態であり、遅々としてなかなか高度を下げられない。
こんなことを雪の無い安全な場所まで繰り返さなければならないのか、と思うと気が遠くなった。
そんな時、登りで追い抜いてきた2名の登山者が上がってくるのが見えた。
何か、C氏が安全に下山できるための手段がないか…
祈るような気持ちで2名の登山者に助けの手を求めた。
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話は戻りますが、「たとえそうでも、この人が死んでいいという訳ではない」という言葉で、私はそれでハッと目が覚めて、自分の怒りよりも、一歩間違えば滑落死する遭難者をどうすれば助けられるかに意識を向けることにしました。
Sさん撮影(このとき、私はまだ呆然とした状態でした。)
ただ、この状況は助けるにしても非常に困難な状況です。
まずこういうときには、助ける側の安全が確保されねばなりません。
何度か話を聞いたことがありますが、こういう状況で非常に危険なのが2次災害です。
助ける側が遭難者に巻き込まれて、共に命を落とすということです。
私は登山・登攀のエキスパート Sさんから、積雪期の富士山の2次災害について聞いたことがありました。
積雪期の富士登山で仲間が滑落し、それで助けようとしてあせった他の仲間も滑落すると言う話を。
この場所は、自分たちが滑ったとしてもピッケルで止まることが困難な状況でした。
ロープやスリングなどで連結した場合、共倒れになる可能性が非常に高い状況。
野中さんもそのことを良く知っているので、ロープなどでの連結は行わず、遭難者はそのまま四つん這いで九合目の山小屋まで下山、残った私たちは遭難者が下山しやすいように、足場を作るようにと、指示しました。
第一発見者のSさんは英語が話せる方だったので、それを外国人遭難者に伝えてました。
Sさんは、アイゼン歩行により足場を、私は手持ちのピッケルのブレードで雪面を削って足場を作りました。
見てのとおりブレードは非常に小さく、足場一つを作るのに、何度も何度も固い雪面に叩きつけるように掘る必要がありました。
その間、野中さんは万が一遭難者が滑った場合に備えて、初期制動できるように遭難者のすぐ下で構えながら下山していました。
正直に書くと、私は外国人のすぐ下で作業しているため、万が一、外国人が滑り出したときにそれを食い止める気持ちとともに、加速して止められない、もう自分自身が危ない、助けられないと感じたときに、その外国人が加速しながら数百メートルも弾丸のように滑り落ちて死に行く様を見届けることになってしまう覚悟もしていました。
生死がかかった非常に高いの緊張感の中、その作業を続けること約2~300m、約30分ほどかけて、遭難者が力尽きるこなく、何とか九合目の山小屋までたどり着いたのです。
救助者一同、荷物を降ろし、ホッとしました。
とりあえず平地のあるここまでたどり着けば腰をすえて対応できるからです。
この状況で心配されることは、当然のように防寒着など持っていない遭難者が低体温症になり動けなくなることでした。
野中さんはすぐにツェルトを取り出し自前のスリングとカラビナ、私のスリングと環付きカラビナを使用し、設営しました。
Sさんもツェルトを持っていて、中で2重になっています。
撮影者(登山ガイド野中径隆)
その後、どうするかというのをみんなで話し合いました。
その結果、
- まずは110番で通報する
- 救助隊が来るのには非常に時間がかかるため、雪面が緩くなり滑落リスクが低くなった時点で下山する
ということでした。
野中さんが、「どちらにしろ、しばらくは動けない。私はここで待機しているから、2人は山頂まで行ってきてください。これほど絶好の登山日和はそうそうないし。私は何度も登頂しているので、大丈夫です。ただ、雲もでてきているので剣ヶ峰には行かず、下山してきてください。」
というありがたい提案を受けて、Sさんと私は富士宮登山ルートの山頂を目指すこととなりました。
■野中さんの今回の遭難事故に関する記事はこちら
■2014年から残雪期の富士登山ガイド依頼を一般募集するそうです。
・当サイトの「チェコ人・スロバキア人登山者の遭難・救助」関連ページ一覧
- 1ページ目 「チェコ人・スロバキア人の富士山遭難事故」
- 2ページ目 「真っ暗闇の積雪期夜行登山」
- 3ページ目 「日差しを浴びて快調に登る!」
- 4ページ目 「九合五尺付近で滑落しそうな遭難者を発見・救助」
- 5ページ目 「Sさんと富士宮の山頂へ」
- 6ページ目 「チェコ人遭難者と共に下山・救助隊と合流」
- 7ページ目 「予想外の悲しい結末」
装備・持ち物リスト
10年以上の登山経験を元に作成しました。安全・快適な登山の参考になれば幸いです。
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